Life On Wheels

どこまでが芸術家でどこからが起業家なんだろう。

ある日電話をした。気付けば次の日、東京にいた。「第一弾」

先日、ホリエモンさんのホリエモンchに出演してきました。

彼からの第一声「俺、興味ないわ」

結果今日の収録は間違いなくお蔵入りになるでしょうが、その言葉は全く私たちは気にしていません。

全ての人に受け入れられるモノなんて世の中には一つもないですよね。

どんな地位の人からなんと言われようと私たちは自身の活動を信じ続けます。

今日の収録で最も気になったのは家入さんからの言葉「活動の動機にストーリー性がないんだよなぁ」というもの。

いつも言われるんです。

でもこれまで私と相方の空でやってきた活動は紆余曲折ありすぎて数分の会話じゃ全ては伝わりません。

なので私が大学に行かなくなった理由から今日までの全てをこれから書いていこうと思います。

MITに行きたい

高校を卒業し東北大学に進学。

実は東北大学を選んだのも全てMITに行くためでした。

小学校四年生の時エンジニアだった祖父の影響でものづくりばかりしていた私に母親が「MIT行けば?」といったのがきっかけです。

そうこうしていると高校二年生の時に偶然MITに行く機会がありました。

そこで偶然お会いした日本人の留学生が東北大学から来ていた方だったんです。

いろいろ話をするうち、東北大学が自分の中の選択肢に上がりました。

入学してから

大学入学後、MITに行きたい気持ちは変わらずありましたが普通に留学はしたくありませんでした。

ではどうするか。

「Kick starterでプロジェクトをサクセスさせよう。向こうから声がかかれば学費もいらないし、MITでも学べる。」本気でそう考えるようになりました。

安直ですね。

しかし祖父の影響で中学の頃から何かアイデアを思いついたらノートにメモしていた私。

ですので 自称 世界を取れるアイデアはたくさんストックしていました。

しかしプロダクトを作るにはお金がいります。

「だったら研究室に入れば研究費で落とせるやん!」という考えのもと、プログラミングの授業初日に担当教授にアイデアを話し幸運にも研究室でプロダクト開発をすることができるようになりました。

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色んな教授にアポを取って、プロダクトの設計のアドバイスももらっていました。

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それからというもの毎日授業後は研究室に足を運び開発。寮では部屋が激狭いのでベッドを分解したパーツで机を作りその上で開発。

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色々あった結果、そのプロジェクトは結局うまくいきませんでした。

しかし、今ではそれもまた良い経験。

そんなこんなで一年生の夏休みが終わり新しい学期が始まりました。

なのにどうしてかやる気が出ず普通に授業を受ける毎日が続いたんです。

でも何かモヤモヤしたものを抱えながらの生活。

一年も終わりに差し掛かっている頃、「このままじゃ将来絶対後悔する」と思ってManaveeの花房さんに連絡をしました。

Manavee花房さんとの出会い

Manaveeというのは無料で授業を見れる東進の無料版のようなものです。

manavee.com

私自身、高校時代はこれを見て勉強していた時期があります。

そして自分の生活に疑問を持ち出した頃「確かこのサイトは東大の学生が在学中に作ったんだよな....」とふと思い出して彼にメールを送ったんです。

 

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ダメ元でのコンタクトでしたが彼から返信がありました。

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次の日の昼、3限が空いていたので昼ごはん後友達と学食で話していました。

そこで空きコマだったので外に出てキャンパスを歩きながら花房さんに電話をかけることにしたんです。

すると「明日の昼なら会えるよ」とのこと。

しかし調べてもバスも満席。新幹線に乗るお金はありません。

そのままスパーカブに乗って百均に行き、画用紙とマジックペンだけを買って次の日ヒッチハイクで東京に行くことにしました。

もちろん泊まる場所もないので以前行ったことのある空に「明日行くわ」とだけメッセージを送りました。

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朝5時出発。

インターチェンジまで山を越えなければならないので愛車のv6気筒フィフティーccスーパーカブで極寒の中を出発しました。

最終的には4台乗り換えて12時に池袋に到着することができました。

最初にして最大の反抗

最初の一台が高速に入る瞬間、「あぁ、始まったな」って心の底から感じたのを今でも覚えています。

 

ちょっと長くなったので次回は東京に到着してからを書いていきます。